父の死から10日経つ。
時間があると父を思い出す。
お骨になったところも見たのにまだ、父の死を
受け入れられないでいる。
火葬する前に顔を見せてくれるが、あの燃えた後の
お骨が父だとはどうしても思えない。
家族とはそういうものなのかもしれない。
父が元気な時、親戚のお葬式から戻った父は
その日のお葬式で遺族である娘たちが泣いていたことを
話し、自分が亡くなったら、娘たちは泣いてくれる
だろうか?と問いかけてきた。
私は半分テレもあったが、真面目に涙が出ないのでは
ないかと思い、泣かないだろうみたいな答えをしたと
思うが、実際は止めたくても止まらない。
涙があふれ出た。これを書きながらも涙があふれてくる。
私は父親っこではなく、母の方が好きと公言していたのに。
父を失ってから、何かにつけ父親に守られていたんだ
って感じる。別に暮らすようになってから直接何を
してもらったのではなく、心を心で守られていたみたいな。
でも、いつまでも悲しんではいられない。
けじめをつけなければ、忘れるのでは無く現実に起こった
事として受け止めなければ、そして前に進まなければ、
そう思い、頭を整理するためのにこれを書くことにした。
まず父との出会い。
こんな書き出しだと実子ではないのかと思われそうだが、
そうではなくて、私が父を父と認識したのが、小学校の
高学年になってからだったのだ。
そういうと皆不思議がるのだが、父は仕事人間だったのだ。
私が4年生の時に姉に
「あの日曜日だけうちに来る人誰?」と言う質問に
姉が笑いながら答えたのを今も覚えている。
「あの人はあんたのパパよ」
え~~~~!!と衝撃が走った。
そうなの?私お父さんいたんだ。
大人になって父と話した時に父は言った。
「朝6時半頃に家を出て、夜は2時頃帰宅する生活してた
からな~」
だから、日曜日しか会わなかったのだ。納得。