レジン・神楽坂大好き   50オバサンの楽しい毎日

毎日楽しく生きるために、色々やってみよう。

父が入院しました1

4月24日(火)

父が入院しました。

私は父と離れて暮らしているので、何も知らなかったのですが、4月に入ってから、食事の量と動作が極端に減ったとのこと。

そして血液検査をしたら、かなりの貧血とのこと。

入院してすぐに輸血しないと、ゴールデンウィーク中にも命が危ないレベルとのこと。

CT検査。

 

4月25日(水)

胃カメラ、大腸検査。

 

4月26日(木)

大きな胃癌発見。

既に出血、全身転移があり、ステージ4。

手術しても全て取り除くことは不可能。

そして父はかなりの高齢。

 

4月27日(金)

輸血と点滴をして、明日退院することが決定!!(2週間ごとに通院することに)

 

4月28日(土)

退院する為、家族が午後迎えに病院へ。

妙に病室が騒がしい。

いったい何が?・・・。

心筋梗塞を起こして緊急手術。

ステント手術で無事助かる。

退院延期に。

 

4月29日(日)

私が初めてお見舞いに行けました。

夕方到着して、すぐに病院にかけつけますが、弱っている父の意識はボーとした感じ。

初めて痩せた父の姿を見た私は、胃癌、ステージ4、心筋梗塞、そして目の前の父の姿。

立て続けのショックで放心状態になりました。

点滴6種類くらい繋がれ、輸血、そして大きな機械!!心電図やら何やら、いろんな数字やグラフ。何がなんだかわからないけど、おおごと。

素人でもそれはわかるレベル。

 

4月30日(月)

昨日から考えられないくらい、しっかりした感じで話す。

 

5月1日(火)

早朝5時半、病院から電話があり。

何かあったのか?

父が夜中、4回も点滴を引き抜いて、立っていたらしい。

本人を落ち着かせるために、今日はご家族がついていて下さいとのこと。

5分間立つ練習をする。

一日中不思議な幻覚を見ているみたいで、色んな話をする。

例えば、金魚が空を泳いでいるみたいな。

 

5月2日(水)

トイレに行くとき、車椅子を押しながら、歩くリハビリ開始。

 

5月3日(木)

看護師さんと、車いすを押しながら50メートル歩いたと話していた。

 

5月4日(金)

父が突然電話してきて、昨日から入院しているんだけど、誰もお見舞いに来ないのか?とのこと。

寂しいのだろうと、家族そろって皆でお舞いに駆けつけるが、父の記憶は・・・?

入院は昨日からではないのだが・・・・。

 

5月6日(日)

80メートル歩いたらしい。

ご飯は出ていないらしい。

何故入院しているのかを看護師さんや医学療法士さんに聞いているみたいだ。

癌の告知には本人もいたのに、忘れているみたいだ。

心筋梗塞も。

 

5月7日(月)

喉頭癌も見つかる。誤嚥性肺炎にもなっては治りを繰り返していることも判明。

誤嚥性肺炎で亡くなる可能性も出てきた。

今日の目標200メートルだったのに

80メートル歩いたら、点滴が逆流したりで歩く練習終わり。余命半年かもとのことだった。

 

5月8日(火)

一人部屋から4人部屋に移動。

相変わらず食事は出ておらず、点滴のみらしい。

80メートルしか歩けなかったらしい。

 

5月9日(水)

お尻が床ずれでかぶれているらしい。

医学療法士さんが来て、リハビリに連れて行ってくれたらしい。

 

5月13日(月)

車椅子を持って、療法士さんに付き添ってもらって、80メートル歩くのが精一杯だったらしい。

トイレも自分で行けない。

 

5月14日(火)

食べられず点滴で栄養補給。

誤嚥性肺炎の為に余命3か月くらいかもとのこと。

病院から電話があり、在宅医療か施設に入所するのか決断を求められる。

 

5月15日(水)

認知症が出てきているので、ホスピスには入れないとのこと。

介護保険は在宅介護でないと使えないとのこと。

初めて聞くことばかり、知らないことばかり、今まで元気でいた時には考えたことのないことが日々起こり、

精神的にきてました。

 

長い間、ブログお休みしていたのは、

こういう日々を過ごしていたからです。

具体的に私が何をしているわけではないのですが、やはり、実の父のことはこたえます。

現在は介護認定待ち中で、家族が在宅看護に向けて準備中です。全くの素人に何ができるのか、大変だと思いますが、できる限り私も支えなければと思っています。