レジン・神楽坂大好き   50オバサンの楽しい毎日

毎日楽しく生きるために、色々やってみよう。

父想う2

小学校の時の父との記憶はあまりないが、

小学校の時、喘息で病気がちだった私は

学校を休むことも時々あり、休んだ日は必ず一人で

二階で寝かされていた。

父が帰って来た時に、調子はどうだ?と

見に来てくれるのが、嬉しかったのは

覚えている。

私が父と一番関わった時期は大学に入ってからだった。

電車通学に2時間かかる私と会社まで急行で12分の

父は良く朝の電車が一緒になった。

その12分が会話の時間だった。

以前書いたように、父は仕事人間で家にいなかった

からか、私は思春期でも父を嫌いになったことがない。

今思えば高校入試の合格発表の日、一緒に行ってくれた

のは父だった。

2時間かかる大学の入試の日も一緒に行ってくれたのは

父だった。

そして、就職で実家から出ていくのを反対したのも父だった。

就職先に旅立つ私を新大阪まで送ってくれたのも父だった。

「どうせそんな長い事、続かないだろうと」

捨て台詞のように言って見送った父の目には涙が潤んでいた。

末っ子の私を一人で関東に出すことが不安で仕方なかった

のだろう。

その後、帰省のたびに父の見送りを私が拒否した事は言うまでもない。

大学を卒業してからは完全に離れ離れの生活であまり関わることの

ない日々が続いていたが、父は定年後も数年は子会社で働いていた。

そして、会社を辞めてから暫く、父と電話で話す日々があった。

46年間働いた父はある日突然仕事が無くなると、何をするでもなく

放心状態だったらしく、母が家にいたらボケるんじゃないかと

心配する日々。

この頃結婚して専業主婦していた私は良く母に電話していたのだが、

決まって、お父さんとも話してと電話を変わられ、父と長電話を

していたのを覚えている。

父に趣味でもさせないとと考えた母の勧めにより、その後の父は

カメラ講座で写真を習いに行ったり、マジック教室でマジックを

学び、老人ホームや保育所でマジックを披露したりしていた。

私が出産で地元に戻った時は、後陣痛で2週間寝たきりに近い状態に

なった私の代わりに母と父で子供をあやしてくれたこともあった。

私や母は子守唄を歌って、寝かせようとするのだが、

歌が大好きだった子供は新しい歌が始まるたびに、

目がキラキラしていっこうに眠りにつかず、母と私は抱っこに

限界を感じ父に託す。父は

「ホイホイホイ、ホホホイノホ~イ」を連呼して、ゆりかごの様に

揺らしながら抱っこする。

新しい歌が聞けないとわかった子供は一瞬で眠りにつく。

すかさず私がそっと置いて!!と布団に寝かせる。

父はもっと抱っこして寝かせてあげたいと言うが、

やっと寝た。ゆっくりしたい私は、父の腰の負担を考えての

ことでもあったのだが、すぐに取り上げていた。

子供が小さい間はマジックを見せるのを楽しみにして

帰省するたびに披露してくれていた時もあったが、

子供が大きくなるにつれ、子供も興味を示さなくなり、

いつの頃からか、マジックを披露しなくなっていた。

今年のお正月は食事の量も少し減っていて、

少ない事を指摘した私にダイエットしているみたいなことを

言っていたが、今思えばあのころには少し食べることに

不快感があったのだろうか?

入院してからの父は口癖のように

「どこも痛くも悪くもないのに、何で退院できないんや?」

だったから、本人もほとんど感じていなかったのだろうか?

入院してからは本当にいつも

「早く退院して家に帰りたいのに、何でできないんや?」

と亡くなる3日前までは毎日のように、言ってたらしい。

退院するチャンスは2度あったのだ。

家族も一度でも短い時間でも、帰してあげたいと

思っていた。

一度は胃癌で手の付けようがないとわかった時、

退院するはずだったのに、心筋梗塞を起こして延期に。

もう一度は5時間だけの一時帰宅を計画した日。

その前々日、父は心臓の痛みを訴え、前日は車いす

乗せた時に気を失った。

それからは本当に飲み込むのも大変そうになり、

家に連れて帰れる様子では無くなった。

でも、父は今は遺骨になって家に戻っている。

しばらくは自分の死をわかってさえいないかもと

思っていたけれど、もう気づいている頃だろう。

最近は母が眠っている横に座ってきたり、

母に何かを話しかけて来たと感じることが

母には起こっているらしいが、私や他の家族には

何も見えないし、感じない。

きっと現れると思っていたのに。

お通夜、お葬式、初七日を終えて、前を向いて

進もうと思います。

また、書きたくなったら更新するかもしれませんが、

とりあえず、これを書かなければ心の整理ができなかった

ので、自分の為に書きました。

次回からは写真を載せて楽しい事書けると良いのですが。

自称、前向きなので、きっと変われるでしょう。